To give people pleasure in the things they must perforce use, that is one great office of decoration; to give people pleasure in the things they must perforce make, that is the other use of it. —William Morris, Lesser Arts, 1877
ウィリアム・モリス『社会・芸術論集1 小さな芸術』川端康雄編訳 月曜社 2022年
本書は、ウィリアム・モリスの八つの芸術論をおさめた論集である。一八八二年に出版された講演集『芸術への希望と不安』の五篇にさらに三篇を加えた構成になっている。八つの文章が書かれた時期は、一八七〇年代末から八〇年代末まで、モリスの工芸家としての仕事がついに最高潮に達した時期であるが、同時にまたモリスが工業化にともなう社会の諸問題にたいして活発に物申していた時期でもある。八篇すべてが「小芸術」をめぐる論考であり、生活芸術としての工芸の意味や、美しいものを生み出す労働の喜びに話がおよんでいる。モリスがもっぱら装飾美術家として知られるならば、本書一冊をとおしてモリスの社会改革者の一面にも触れることができる。
大前提として確認したいのは、モリスの念頭にある芸術がファインアートではなく、生活芸術としての工芸だという点である。モリスは一八七七年のロンドンでの講演「装飾芸術」にて、装飾芸術を「小芸術」と呼びかえて、装飾の仕事について論じた。この講演は「小芸術」として発表されている。モリスはここで、建築・彫刻・絵画といった「大芸術」にたいして、家具・陶芸・織物など、装飾によって日常生活を豊かにする工芸を「小芸術」と呼んでいる。モリスは、虚飾に満ちた贅沢品ではなく、未熟であっても雑ではなく、自然で気取らない「農民の芸術」うちに、装飾の健全なありかたをみる。
一八八〇年のロンドン講演にもとづく文章「最善を尽くすこと」では、モリスの芸術のおよぶ範囲がしめされている。薔薇の花によって庭園に誘われ、家の外観に魅せられて室内に引き込まれ、天井・床面・壁面に目をやりながら装飾の細部にみちびかれ、描かれた模様をとおして自然に戻される。モリスのこの探索から透けて見えるのは、自然をめぐる循環である。一八八二年のバーミンガム講演にもとづく「生活の小芸術」では、モリスが芸術と呼ぶところのもの、建築・陶芸・織物・捺染・壁紙・被服など、小芸術の主要な分野について論じられている。
モリスは一八七九年の講演「民衆の芸術」において、本当の芸術とは「労働における人間の喜びの表現」であると主張している。以後もモリスの文章のいたるところに同じ文句があらわれる。モリスは、一八八〇年代に社会主義運動にかかわる以前すでに、ラスキンのゴシック論に感化されて、職人にとって喜ばしい労働こそが人々を喜ばせる芸術をもたらすと信じていた。モリスは、機会あるたびに新たに議論を起こしているが、一番言いたかったことは、次の二点に絞られるのではないか。一方において、喜ばしい労働によって喜ばしい芸術がもたらされるという主張であり、他方において、喜ばしい芸術によって喜ばしい労働がうながされるという主張である。
モリスは一八八三年の講演「芸術と民主主義」で自分が社会主義者であること公言したが、かれはそれでもなお、唯美主義者だったのであろうか。たしかに、現実の問題から目を逸らし、人々の生きる世界から逃避して、美の世界に耽溺するような態度はもはや取れないとしても、人間の営みのなかで芸術を至高のものとする考えはなお節々から感じられる。モリスの一八八六年の講演にもとづく「芸術の目的」を読むかぎり、生活芸術の目的は、使用を楽しくするだけでなく労働を楽しくすることだと考えられているが、芸術がその手段にすぎないと低く見られていたわけではない。
喜ばしい労働によって喜ばしい芸術をもたらそうとする場合には、芸術はいうまでもなく至高の目的であるが、喜ばしい芸術によって喜ばしい労働をうながそうとする場合でも、芸術はたんなる手段ではなく、芸術はつねに労働の目的として何にも代えがたい価値を有している。喜ばしい労働はそれ自体、創造行為に値するかぎり、広い意味において芸術の一部であるともいえる。
一九世紀の英国における最大の社会問題は、貧困問題だった。けれども、モリスは労働者の経済上の貧しさよりも、労働の過酷さにともなう人生の貧しさを問題にしている。かれの大きな関心は、貧困問題というよりも労働問題であった。モリスは一八八八年の講演「芸術とその作り手」において、建築芸術における作り手の地位について論じている。モリスによると、古代の奴隷と同じように、労働者もまた主人の言いなりに機械のように働かされている。しかし、中世のギルドでは職人には少なくとも制作上の自由がゆるされており、職人はそこで生き生きと働き、生み出された建築にその喜びが表出されている。モリスが望んだのは、中世のギルドのような自由な作り手の共同体であり、労働の喜びの表現としての芸術だった。
keisuke takayasu